鷹が一羽、空を舞っていた。


 篭城から三日後、遂に城の門が破壊された。
 王城を包囲していた反乱軍は、城に侵入。次々と城内を制圧していった。
 長く苦しい時代が、終わりを告げようとしている。


 一人の騎士が廊下を走っていた。

 彼が通った後には赤い血痕が点々と残る。彼の騎士の体は傷だらけだったが、それ以上に多くの人の命がその体を赤く濡らしていた。息荒く彼が目指す場所は、城の中心部、玉座のある謁見の間だった。

 そこに彼が長年、求め続けた人がいる。

 建国から三百年間、変わらずそこにあり続けた扉が開かれた。
 体をガチガチにして、ここに初めて踏み入れたのは十年前だった。若き日に王から下賜された剣は、今も腰にある。だが、全ては王に忠誠を尽くすのをやめた時、価値のないものへと変わっている。

 真っ直ぐと前を見た。
 玉座には最後の王族が座っている。

 一歩、足を踏み出す。彼女は俯いていた顔を上げた。

「遅かったのう。騎士殿」
「……姫!」

 微笑んだ顔は、記憶の中の少女が成熟した姿だった。
 胸の中に歓喜が湧き上がる。やっと、やっと求めた人に会えたのだ!

 興奮のあまり、駆け寄ろうとした騎士を女が制止した。

「近寄るではない! そなたは我が王家の敵である。卑しい反乱軍風情が我と馴れ合おうなどとは笑止千万!」

 涼やかな少女の声は、深く威厳を持つ王の声に変わっていた。
 騎士は女の言葉が咄嗟に理解できなかった。彼の愛した少女は、そのような事をいう女性ではない。

「姫……?」

 訝しげに問う騎士に、女は泣き笑いを向けた。
 その顔は、記憶の中の少女そのままで。

「忘れたか。そなたは、王家を滅ぼしにきたということを」
「違います! 俺は、ずっと貴女を…!」

 助けたい、と思っていたのだ。城の中で一人泣いていた少女を。暴君として名を馳せた先代は、娘にとって父ではなかった。

 体も心も傷ついて、それでも自分に笑みをむける少女が痛々しく、そして愛しかった。

 王を倒せば、民衆は救われ、王女は解放される。子どもじみた浅はかな考えで城をでた。いつしか自分の周りには革命を望む者達で溢れかえり、考えの間違いに気づいた時には後に引けなくなっていた。

 それでも、方法はあると信じていたのだ。

 しかし、戦時中の最中、王は病死し王女が王となった。
 悪しき王家は滅ぼさねばならない。


 ならば、逃げようと。二人で逃げてしまえばと。


「一緒に…俺と一緒に逃げてください」

 騎士は玉座に座る人に向けて手を差し出した。女王は目をきつく瞑り、その手から顔を背ける。

「言ったであろう。敵同士で馴れ合って何とする」

 女王は、ぐっ手を握り締めた。
 声が震えないように神に祈る。

「さあ、我を殺すのだ。さすれば古き王家は断絶し、反乱は成功する」
「嫌です! 俺は貴女を生かすために来たんだ!」

 騎士は叫んだ。女王にはその言葉だけで十分だった。

「戯けた事を言うでないわ。そなたと共に戦った者達の命を無駄にするのか」

 民を脅かした王家は滅びなければならない。そのために彼らは戦ってきたのだから。
 騎士は唇を噛んだ。彼女の立派な王だった。

 あの先王より先に彼女は王になっていればこのような不幸は起きなかったと、民は笑って過ごすことができたと、彼はずっと信じている。

 しかし、神は先王の娘として彼女を産んだ。
 女王は玉座から立ち上がる。
 段差を一段、一段と降り、騎士の目の前にたった。

 手の届かなかった人が目の前にいると思ったのはどちらだったか。

 女王は剣をもつ騎士の腕を手にとった。
 首筋に女王の民の命を奪ってきた刃を寄せる。

「さあ、早く殺せ。そして、悪しき王家の終焉の証として、新しい時代の象徴として、この首を門前に晒すのだ」

 目を閉じる。そっと、手に取った騎士の腕に女王は指を這わせた。
 騎士との初めての触れ合いだった。

 そして、最後の触れ合いだった。

「……貴女と共に生きたかった」
「…我もだ。だが、それは叶わぬ夢物語。――だから、私の別の願いをお前が叶えておくれ。愛する者の手にかかって死ぬという夢を」

 最後に会った時と変わらない笑顔。
 今だけ、自分達は昔のただの騎士と王女だ。
 そっと唇を寄せる。

「……愛してます。ずっと貴女を」
「…お前と会えた。それだけで、私の生きた意味はある」

 刃が首にかかる。

「私は幸せだ」

 赤い花を散らして、女王はそう囁いた。
 騎士は涙を流しながら彼女の体を抱きしめると、屍と変わった体から首を切り離した。


 翌日の朝、城の門前に最後の女王の首が晒された。
 民衆は涙を流し、手を取り合い喜びあった。

 長年に渡り民を苦しめ続けた王家は滅び、新しい時代が幕を開けたのだ。

 一羽、空を舞っていた鷹が姿を消した。



 鷹の嘆きを聞いた者は、誰もいない。





モドル