空は澄み切った青一色に染められている。

 国の中心地にある大きな建物の一室にかつての英雄は横たわっていた。
 多くの人が英雄が眠るベッドを囲むように立っている。一様に沈痛な面持ちだった。

 部屋の一角、そこに魔術師は現れた。突如現れた男に警戒してか、次々と剣を抜く音がする。一気に場は緊張し、殺気だつ。その場を沈めたのは眠っていた筈の英雄だった。

「…こ、の…男は…わ…の、友人…じゃ…」

 息荒く英雄は周りの者を制止する。英雄の顔は青白く辛そうに眉が顰められ、額からは次々と汗が噴出していた。

 英雄を囲む人々から声がでるより先に魔術師が英雄の額に指先を押し当てた。

 荒かった息が規則正しい呼吸になり、顔には血色は戻る。英雄は目を細めて、魔術師を見た。

「…お前は、昔とちっとも変わらんのう」

 魔術師は張りのある声で皮肉げに言った。

「貴方は随分としわくちゃになりましたね。ドラゴンに噛み付かれても死ななかった英雄も老いには勝てませんか 」
「 ふぉっふぉっふぉ。そうさのう、ワシも流れ行く時には逆らえんようじゃ 」

 髭を震わせて英雄は笑った。魔術師の姿も物言いも昔と変わらない。それで色々と苦労させられた覚えばかりだが、今はそれが懐かしく嬉しい。

 魔術師は両腕を擦りながら、美しい顔を歪めた。

「馬鹿としか言いようがなかった貴方が詩的なことを言うと激しく違和感が」

 空から槍が降ってきたりして…と呟きながら、窓の外を見る。


 空の青さは彼と会った時にそっくりだった。


「……絶対、私のほうが先に死ぬと思ってたんですけどねぇ」

 寂しげな小さな声だった。英雄は苦笑して魔術師の後姿を見つめた。

「そう思ってるのはお主だけじゃわい。ドラゴンも時間もお前を避けて通りすぎていっとるちゅうのに。図々しいにもほどがある」

 あの時の魔術師の姿は傑作だった。まるで、魔術師の周りに結界が張ってあるとでも言うように見事に避けるドラゴンに怒り狂った魔術師は、最強呪文の連発をしたのだ。おかげで西の山が一つ消えた。

 当時を思い出して、肩を震わす英雄を横目で見て魔術師は暗く呟く。

「 爺になって、ますます生意気度に磨きがかかりましたね。 貴方が死んだら、生意気な英雄のあんなことやこんなことを英雄談として全世界で語りついであげますから」
「ぬっ!?」

 時間は無駄にいっぱいありますしねぇと手を口元にあて、ふふふ…と含み笑い。

 英雄は額から冷や汗が滑り落ちる。語り草にされると恥ずかしい逸話には事欠かない自覚はあった。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。長年付き合い続けた彼の言葉の裏が判らないほどボケてはいない。長く息を吐き出すと、英雄はニヤリと笑う。

「…相変わらずじゃのう。死ぬなと素直に言ったらどうじゃ?」

 魔術師は形のいい眉を片方上げた。数秒ためらった後、目を伏せる。

「……言ったら老いぼれ爺の寿命は延びるんですか」

 死ぬ前に面白いものが見れたと心の中で思うと、満足げに頷きながら髭を梳く。

「うむ。5秒ほど延びるかもしれんのう」
「今、貴方とクレアの周囲を巻き込んだ結婚にいたるまでの経緯を事細かく記録に残すことを決めました。題名は「英雄のプロポーズ1000回」実に内容をよく表した題名だと思いませんか?」

 魔術師は口元を引き攣らせながら硬く決意した。やると言ったら本当にやる男だと知っている英雄は、焦ってベッドから起き上がると魔術師のローブの首元を引っつかみ前後に揺らした


「ぬぉーッ!! よせっ、そんなもんが記録に残ったら常世で待ってるクレアに殺されるではないか!!」
「常世に行ったら、それ以上死ぬことはないですから安心して下さい」
「悪魔じゃ! 悪魔がおるーッ!」

 ふふふふと笑い続ける魔術師に頭を抱えて錯乱する英雄。
 寝たきり爺だったはずの英雄の奇行に今まで口を挟めずにいた周囲から声が上がった。

「……えーと、英雄殿。随分とお元気になったようで……」

 何とも言えない顔で口を開いたのは初老の男だった。二人の親しい雰囲気に口を挟めなかったのだが、さすがに英雄の状態は異常で放置することはできない。

 男に言われて初めて英雄は自分の体が自由に動かせることに気づいた。自分の体をまじまじと見た後、隣の魔術師に視線を移す。

「おお、そういえばそうじゃ。何かしたのか魔術師?」
「一時的に私の力を分けただけです。私が居なくなれば臨終間近に戻りますよ」

 感情の篭らない声に「そうか」とだけ英雄は返した。
 その言葉に納得できなかったのは初老の男だ。

「なっ、それならば魔術師殿の力をずっと分けていただければ、英雄殿は死ななくて済むということではないですか!」
「寿命は延びませんよ。私に人の時を弄ることはできません。それに本人が望まないでしょう?」

 鬱陶しそうに冷たく見ると男は怯んだ。何故かそれ以上言葉を発してはいけない気がした。この魔術師は他人が口を挟むことを躊躇うような雰囲気を作る。

 問いかけられた方は、好々爺然と微笑みながら黙っている周囲を見回した。

「おう、そうだとも。ワシは十分に生きたし、そろそろクレアの拳が懐かしいしのう」
「変態」
「変態に変態と言われるとは心外じゃ!」

 英雄が吠える。

 犬が喚いているとしか認識しない魔術師は、両手をぽんっと合わせ、たった今思いだした本題に入ることにした。

「おっと、目的を忘れるとこでした。貴方と話してると本題からずれていけない」
「そもそも、本題に入ってないじゃろうが」
「今から入りますよ」

 半眼で自分を見る英雄の手を取るとパチンと指を鳴らした。






モドル