執務室の扉を開けると、長椅子に黒い塊が寝そべってるのが見えた。

 気配を殺して近づく。案の定、この館の主だった。
 いつもきっちりと一つに結ってる黒髪が乱れて、長い睫毛が顔に影を落としている。

「ありゃりゃ、気持ちよさそうに寝ちゃって」

 長椅子を背もたれに床に腰を下ろす。土産に持ってきた数本の酒瓶のうち一つの封を開けて、中身をぐいっと口に流し込んだ。喉が熱く焼ける。
 口から溢れた液体を手で乱暴に拭い、すぐ隣にある幼馴染の顔をまじまじと見た。

 昔はどちらかと言えば少女のような顔立ちだった気がする。実際、自分はこの男の事を少女と間違えた記憶があった。


 二人が出会った場所は、国境付近の比較的大きな町の孤児院だった。
 その年、隣国との長年続いた戦争が終結した。多くの民の命を奪った戦争は、同時に多くの戦争孤児を出した。

 出兵した父親が帰ってこないのを悟った時、自分もまた戦争孤児となったのだ。彼もまたそうだったのだろう。

 丁度同じ日に入所した自分達は、年も近かったこともあり、先に入所していた他の孤児達に紹介される前に引き合わされた。
 自分の前に立つ子どもは、子どもの自分の目か見ても美しい少女で、けぶるような睫毛に囲まれた濃い青の瞳が父親から聞いた「海」という場所を連想させたものだ。

 そんな少女に彼女の名前は不釣合いに思えて、声に出して言ってしまったのが失敗の元だった。

「じぃーく?  オンナのくせにオトコのなまえなのかよ」

 そう言った瞬間、脳天を突き抜けるような痛みが襲い、意識が遠くなった気がした。
 痛みに耐えるために前かがみになり、その根源を抑える。男の急所を自分の前に立つ少女は躊躇いも無く蹴ったのだ。

「ボクは男だ!」

 目の前の少女−−否、少年は青い炎が燃え上がったような目で自分を見た。

 この瞬間、お互いは天敵となったのだ。


 自分達が入所して、一週間と立たないうちに孤児院は三つに分かれた。

 一つは自分の周りに集まってくる同年代と年少者の集団。
 一つはジークの周りに集まった同年代と年少者の集団。
 残りの一つはそれが気にいらない年長者達だ。

 自分を筆頭とした集団とジークを筆頭とした集団はよく喧嘩をした。
 言い争いや殴り合い、罠をしかけ相手を嵌めたり、嫌がらせもお互い毎日のように行ったものだ。

 どちらの集団も力が拮抗していた事もあり、次第にそれは楽しくなり「どちらが先に相手を出し抜けるか」と、遊びの一種に変わったのは必然だった。

 年長者達はそれが気に入らなかったのだろう。大きな顔をする自分とジークの集団を力で押さえつけようとした。
 年の差による思考力の差と体格の差は年少者の多い自分達には不利で、年長者達との喧嘩は泣きを見ることが多かった。

 それが悔しくて、自分達は共同戦線を張ることにしたのだ。
 罠や嫌がらせを考えるのにジークの右にでる奴はいなかった。
 年長者さえ負かす喧嘩の強さに自分の右にでる奴はいなかった。

 その二人が結託した孤児院全体を巻き込んだ大きな喧嘩は、子ども時代の一番楽しい記憶だ。


 年長者を負かし、お互いのボロボロの姿を見たとき、どちらともなく笑った。

「おまえ、あたまは弱いけど強いな」
「おっまえこそ、スゲェーなぁ! オレ、あんなちびっちゃいそうなイヤガラセ、ぜってー思いつかねーよ!」

 お互い、相手の失礼な物言いに小突きあった。


 それからは、二人でよく遊んだ。だが、それは僅か数年で終わりを告げる。
 和平条約を結んだはずの隣国が国境を越えて、孤児院のあった街を襲ったのだ。


 戦火の中、ジークの姿は消えて、それ以降十二年の時がお互いの生存すら判らずに過ぎていった。
 戦火から逃げた自分は、縁あって近隣の村を騒がしていた盗賊団に入団することになった。

 しかし、老若男女関係なく殺し奪う盗賊団の傾向が肌に合わなく一年で脱退。兵士だった自分の父親の話を思い出して、海に出ることを決めた。もちろん、当時は「海賊」なんて存在は知らなかった。ただ、純粋に海を見たかったのだ。

 初めて入った港町で義賊「黒の焔」という海賊団の噂を聞いた時、自分は何が何でもその仲間になることを決めた。

 偶然、港を訪れた「黒の焔」の船長は初老の男だった。幸運にも気に入られて、海賊団の一員になることができた。海賊家業の中で剣の腕と豪胆さが認められ、順調に幹部へと伸し上り、年老いた船長が現役を引いた時、自分は「黒の焔」船長となったのだ。


 自分が船長になったその年に貴族の仲間入りを果たしていたジークと再開したのは、今思えば必然だったのかもしれない。



 彼がどんな十二年間を過ごしていたのか、自分は知らない。
 そもそも貴族になるのはそんなに簡単なことではないはずだ。

 今はさすがに女には見えないが、十分に美しい男の顔を見る。

「このキレーな面と体、利用したとか…?」

 有り得そうで嫌だ。自分の友人が貴族の変態親父に抱かれたことを想像すると、鳥肌がたってくる。

 まさかなぁ…と思っていると、眠っているはずのジークが突然声を発した。

「面は利用したが、お前が思ってるような相手に体を利用した覚えはないな」
「うぉっ! びっくりさせんなよ! んじゃ、どーやってお貴族様になったんだよ?」


 独り言を聞かれていたと判って、心臓の動悸が激しくなる。


「…気配を殺して人に近づくお前が何を言う」

 寝起きのためか擦れた声で呆れたようにジークは言った。
 自分の問いに彼は首を傾げて考え込んだ。動作がゆっくりなのは、まだ眠いからなのだろう。

「美貌と才能と知力と裏世界?」
「をい。暗殺かよ」

 そういえばやたら暗殺集団に詳しかった気がする。昔から活用してたせいだとしたら、かなり怖い。
 低血圧のジークは、ぼへーとしながら呟いた。

「…夢を見た。お前は昔から、筋肉馬鹿だったな」
「言うにことかいてそれかい」

 ジークが自分が同じように昔を思い出したのは偶然だろうか。

 彼の言動は昔と変わらない。若干……結構、鋭くなった気はするが。
 背中に重みと温もりがかかった。ジークが寄りかかってきたのだ。

「……硬い」
「すみませんねぇ。筋肉質なもんで」

 もはや反抗する気も失せる。数秒と経たないうちに背中から静かな寝息が聞こえてきた。

 動くこともできなくなって途方にくれる。

 執務室の大きな窓からは、麗らかな日が差し込み暖かい。
「たしかにコイツじゃなくても眠くなるわ」と思いながら、欠伸をする。


 外から聞こえる小鳥の鳴き声を子守唄に自分も眠ることにした。






モドル