死体を踏み越え、持てるだけの荷物を持って人々は歩いていく。
 啜り泣きと苦痛の声、そして無言。
 風に舞う土埃が、まるで人々の心のように風景を掠らせた。

 それは、突然のことだった。
 ギリギリまで引っ張られていた糸が、耐え切れず切れたように、内乱は人々を巻き込んで大きな争いに発展した。
 自分と同じように逃げまどう人たちが、兵士なのか村人なのか、敵なのか味方なのか。
 混乱の渦中で判ったことは、母と父が隣人に殺されたということだけだ。
 振るわれたナタ、飛び散る血液。
 恐怖に歪んだ母の顔。抗う父親。
「逃げろ」とその一言で、弟の手を強く握り締めて駆け出した。

 ただ、必死だった。
 強く握り締めていたはずの手は、気づけば逃げ惑う群集と土ぼこりと、銃撃で遠くなっていた。

「おねえちゃん…!」

 叫ぶその声が、人々の悲鳴でかき消される。
 戻ろうと流れとは反対に駆け出したが、逆らえずに地面に尻餅をついた。
 早く、早く見つけて、一緒に逃げないといけないのに。
 必死で弟の名を呼んだ。
 涙で視界が歪む。立ち上がって、もう一度流れに逆らおうとするわたしの腕を誰かが掴んだ。

「何してんだ! 早く逃げるぞッ」
「ジェイ……弟が」
「こんな中見つけられるか! それより自分の命を優先しろ!!」
 
 引きずられるように逃げ出した。 



「国境まで三日ってとこらしい」

 苦い声でジェイはそう教えてくれた。彼の服を赤黒くくすんで、顔や手足にも血がこびりついている。怪我をしてるのかと聞いたら、襲われたから殺したと淡々と言った。
 学校で勉強したり、遊んだり、喧嘩した日々が嘘のような、彼は快活で笑顔が素敵な子どものような目をした人だった。
 今は、暗く翳っている。
 きっと、私自身も。

「キャンプにつけば、名簿が張り出されてる筈だ。弟とも会えるだろ」
「……うん」
「俺も父さんとはぐれたんだ。……こう避難民がおおくちゃ、向こうにつくまで再会もできねぇろ」

 町から逃げ出した人たちは、細く長く列をつくりながら国境を目指している。


 先は、まだ見えない。



 飲まず食わずで、難民キャンプについたのは少し遅れて四日後だった。
 そこから半日近く待たされ、わたしの名前も名簿に加えられた。配給された硬いパンと薄いスープを胃に収めたとき、あまりの美味しさと現実に涙が溢れた。
 弟は見つからない。
 翌日に張り出された名簿に名はなかった。
 翌々日に張り出された名簿にも名はなかった。
 三日後に張り出された名簿で、ジェイは父親と再会した。
 

 一週間たっても弟は見つからなかった。
 慰めてくれるジェイが少しだけ疎ましかった。
 わたしには、もう家族はいない。

「諦めるな」

 そう言い聞かせて、数年がたっていた。


 わたしは、今、ステージに立っている。
 絶望のあの日から、ジェイはわたしを支えてくれたが、二年前に別れた。
 あの内乱で受けた傷をお互い舐めあっていたが、舐めあってるからこそジュクジュクと膿んでいくことに気付いたからだ。
 共に歩いていくには、似すぎていて前に進めなかった。
 今は、あの内乱を体験せずに、それでも悲惨な争いを伝えて行きたいと、このコンサートを企画してくれた一人とパートナーを組んでいる。
 わたしは、歌をうたう。
 あの内乱を経験したミュージシャン、故郷を奪われたミュージシャンが音楽で人々に伝えていく。
 遠い国のことだけど、たしかに現実だったんだと。
 
 わたしは、歌をうたう。
 遠い故郷に思いを寄せて。
 今でも、あそこで苦しんでる人たちがいる。
 
 手を叩いてリズムをとる。
 太鼓の軽快な音が会場を盛り上げる。
 故郷の歌が、違う国の人たちの笑顔となっている。

 わたしは、今、生きている。
 会場に満ちる歓声に、涙が一粒こぼれた。




 楽屋で、片足を引きずった弟と再会したのは、30分後だった。
 血と埃と悲鳴の記憶は、近くて遠い。






モドル