彼は光。
 私は影。

 カッコいい表現で言えば、私たちはそんな関係だ。
 そう、笹倉玲は思った。
 彼は私に光をあてて、影から引き上げてくれるけど、私が近づけば彼の光を翳らせてしまう。
 触れたいけど、触れれない。

 同じクラスの大山佑は、クラス皆の人気者だ。
 明るくひょうきんで愛嬌のある顔立ちをしている。
 ひょろりとした体には、未来へのエネルギーが満ちている気がする。

 大して、笹倉玲は友人の少ない寡黙な少女だった。
 休み時間は机から動かず本を読む。話しかけてくれる同級生と、会話を弾ませることは苦手だ。
 クラスメイトが自分を扱いかねていることを、玲は自覚していた。
 
「笹倉さん! これあげる。おいしいよ」

 いつの間にか、考え事に没頭していたらしい。
 ビクリと体を一瞬痙攣させて、玲は本から顔を上げた。
 目の前には、屈みこんで玲の顔を覗き込む大山佑の顔があった。
 目が合うとニコリと笑って、「はい」と飴を差し出してきた。
 慌てて本から手を離して、反射的に飴を受け取ろうとすると、支えを失った本は机から転がり落ちて床に落ちていった。

「「あ」」

 急いで本をとろうとすると、同じように本をとろうとした佑と手が触れ合う。
 驚いて手を引っ込めようとすると、その手首を佑がつかんだ。
 
 玲は固まった。

 教室に差し込む光は赤かった。
 静かだ。とても。
 まるで、時間が止まったように。
 クラスメイトが皆帰っていたことを、今更ながら気づく。
 玲と佑、二人っきりなのだ。

 どうすればいいのだろうか。
 佑と目を合わせることはできなかった。
 頭は真っ白で、玲はただただ呆然としている。

「ねぇ」

 いつもの明るく元気な声とは違う、少し低くて硬い声。
 怖い。
 踏み出す勇気がないのだ。

「こっち向いてよ」

 掴まれた手首に力を込められて、ゆるゆると顔を上げた。
 真剣な目が玲を捉えた。
 玲の大好きなエネルギーに満ちた笑顔ではない。

 男の目だ。

「そろそろ返事を聞かせてよ」

 何の。
 とは言えなかった。 
 玲には勇気がないのだ。

 誤魔化すことも、断ることも、受けることも。
 何もできない。
 ただ、逃げ出した。
 彼の手を振り払って。
 机の横にかけたカバンを持って。

 一冊の本を残したまま。



「馬鹿だね」

 行きつけの喫茶店。
 中学からの友人の優子は、呆れを滲ませた声で、そう一言。
 半泣きの自分を誤魔化すために、玲は熱いコーヒーをちみちみと啜った。
 玲は猫舌なのだ。 

「好きなら、さっさとOKしちゃえばいいじゃん」

 簡単なことだ。
 何を悩む必要があるのか。
 優子にはぐずぐずしている玲が理解できなかった。

「だって…。怖い」
「はあ?」
「大山君は私にとってガラスのコップなの」

 揺らぐ目が、水の入ったグラスを見つめる。

「綺麗なガラスのコップ。昔ね、お父さんが沖縄のお土産で琉球ガラスのコップを買ってきてくれたの。青いガラスで、泡を閉じ込めたようなでこぼこした綺麗なコップだったんだ」

 宝物だった。
 傷つかないように壊さないように、大事にしまっていた。

「でも、割っちゃった。使ったの初めてだったのに。私、すごく不器用だから。あ、そういえば優子にも「あんたは不器用!」って散々言われたね」

 ふふふ、と思い出し笑い。
 たしかに優子は、ハッキリ物を言う性質だから、仲良くなった当初はよく言っていた。
 そのうち、呆れて何も言わなくなったけど。
 
「何それ? つまり、壊すのが怖いってこと?」

 男をガラスのコップに見立てるか、普通。
 と、心の中で優子は思った。
 そんな心中とは関係なしに、玲はコクンと頷いた。

「あれのどこが、ガラスなわけ? 紙コップで十分だわ」

 コップに例えるのがよくわからなかったが、優子は自分なりに佑をコップに見立ててみた。
 野外パーティーに必須だ。後始末が楽で使い勝手がいい。
 はっきりいって、一時しのぎの存在だ。何回も使うようなものではない。
 クラスメイトに人気だが、それは彼がいると盛り上がるからだ。
 コンパが終わるころには、綺麗にいなくなっている。
 場をわきまえている、というのだろうか。そう考えたら、大山佑という男は、浅く広い友人付き合いしかしていないなと気づいた。
 彼が誰かとずっと居るのを見たことがない。

 優子は、はっとしてそこで考えを打ち切った。
 なんとなく、踏み入れてはいけない気がしたのだ。

「ま、まあいいや。あんなん、そうそう壊れないって! ビルの五階から落としても、しぶとく生きてそうじゃん」
「なんか、優子って大山君の扱い雑だよね」

 白いカップを両手で持って、コーヒーを飲みながら、不思議そうに玲は言った。

「あたしだけじゃないっつーの。クラスの奴ら皆そんな感じじゃね?」
「そ、そう??」

 そうだ。皆、雑なのだ。
 そんな立場に自分を置いてるのは彼だが、何となく同情してしまう。
 気づくんじゃなかった。ああ、応援してやろうって気になってしまった。
 優子は大きくため息をついた。

「…ねえ、さっさとOKしてあげなよ。ガラスのコップみたいに大事にされて、嫌な奴なんかいないよ。たまに優しすぎて怖いとかいうやついるけど、あんなんノロケだっつーの。告るのって、勇気がいるんだよ? 曖昧にされてるのって、結構キツイんだから」

 玲は目を見開いて固まった。

「わ、たし、もしかして、すごい失礼なこと大山君にしてた…?」
「してた、してた。相手の勇気をものすごーく踏みにじってたねぇ」

 どうしよう、どうしよう。
 もう嫌われたかもしれない。
 焦りで嫌な汗が流れてくるような気がする。
 玲は自分のことばかり考えていた自分に、今更ながら自己嫌悪する。
 こんな自分が嫌いだ。

「呆れて嫌いになったかもねー」

 トドメを刺された。
 人に言われるとさらに泣きそうになる。

「でも、あんたはタスクがあんたのことを好きだから、好きなわけじゃないでしょ」

 ま、あいつは玲が特別な目で見てることに気づいて、最初は好きになったんだろうけど。
 寂しいやつめ、と思った。
 拒絶されるのが怖い、子どもみたいなアイツ。
 そんな奴には、いっぱいいっぱい大事にしてくれる玲みたいなのがお似合いだ。
 今頃、逃げられてへこんでるだろうけど。

 なんだか、今日一日で5年分くらいの大山佑を理解してしまった気がする。
 ああ、嫌だ嫌だ。洞察力に鋭いのも考え物だなぁと、優子は思った。







モドル